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| 氏 名 | 森 克巳(もり かつみ) |
| 出身校 | 日大豊山高校卒業(クラブ活動:芸能部)法政大学法学部法律学科卒業(舟橋尚道ゼミナール) |
| 経 歴 | 外資系製薬会社勤務(MR)、医療法人勤務(人事担当管理職、在宅介護支援センター所長) |
| 資 格 | 特定社会保険労務士、DCプランナー |
| 得意分野 | 病院、診療所、老人介護施設などの人事労務管理、労務相談、年金相談,各種セミナー講師 |
| 講 師 | 大原法律専門学校 社会保険労務士講座(HomePageご覧下さい) |
| 著 書 | 中小企業経営のための「会社の法律相談ハンドブック」旬報社)<共著> |
| 所 属 | |
| 趣 味 | マラソン、空手 |
| 好きな作家 | 武者小路実篤 |
| 好きな芸能人 | 渡 哲也(俳優)、さだまさし(歌手)、長谷川京子(女優) |
| 性格 | 誠実、温厚、謙虚 |
| モットー | お客様の立場で親身なアドバイス!! |
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1963年春 東京都目黒区にて出生。
電車やバスなどの乗り物大好きな子供で、早朝に起き出しては母親をたたき起こして、近くの道路まで、車が走る様子を見に連れて行ってもらっていたそうな・・・。
実に母親泣かせの子供である。
1970年 小学校入学。
だが、3年生くらいになると、他の子との月齢差も優位差がなくなり、成績は徐々に落ち込んでいった。親は心配して「そろばん塾」と「学習塾」に入れた。でも、もともと勉強嫌いだったので 、思うように成績は上がらなかった。本人はイヤイヤながら塾に通っていたのである。この頃は友人関係もよく、学校がとても楽しかった。
高学年になると、同じクラスに2人、悪ガキがいて、弱い者イジメが勃発した。自分もその餌食とされていた。強くなりたいという気持ちが強く、当時流行っていたプロレスの技を習得すべく、本を買って自宅で練習をしていた。でも、とうとう技は使えずイジメられ続けた。
1976年 中学校入学。
イジメられた小学時代の悪友たちとは別れ、晴れて中学校へ入学。最初が肝心、新しい友人には舐められまいと必死で虚勢を張るが、徐々に化けの皮がはがれ、ここでもイジメの標的となってしまった。放課後の空き教室に監禁され、サンドバックにされた。顔を腫らして帰宅しても、 親には本当のことは言えず、「転んだ」と言い張った。
2年生になり、クラス替えがあって、イジメっ子とも離れた。もう絶対にイジメられるのはまっぴら御免なので、なんとかして喧嘩に強くなりたかった。そして始めたのが「空手」だった。当時は漫画「空手バカ一代」が流行っており、その影響のおかげで、「空手を習い始めた」と友人に公言したとたんに、イジメっ子も近づいてこなくなった。すごい威力だった。(笑)
それからしばらくは、「空手」にハマり、頭の中は「空手一色」に染まっていた。
1979年 高等学校入学。
不良学校とは永遠にオサラバしたかったので、自宅から1時間近くかかる某大学の付属高校に進学した。まじめな校風が気に入っていた。クラブ活動は、「芸能部」という、要は“落語研究会”である。文化祭で寄席を開き、お客さんの前で“古典落語”を演じるのである。ウケたときの快感はなにものにも代え難いものである。特に、演じ終わってから客席にいた女の子から声をかけられたときは、天にも昇る気持ちだった。これも男子校ゆえの悲しい習性である。(笑)遊び呆けた3年間だった。おかげで、大学の推薦入試に落ち、見事、浪人生活へ。
1982年 早稲田ゼミナール入学。
必死の受験勉強。やるときゃ、やります!
人間、必死になれば不可能も可能にできる。それを実感させてくれた1年間だった。
1983年 法政大学法学部入学。
予備校時代、受験科目として選択した「政治・経済」の勉強を通じて、法律に興味が沸き、法学部を選んだ。1,2年生の頃こそ一生懸命に講義を受けていたものの、3年生になると、「ゼミ」と「好きな科目」の講義にしか出なくなってしまった。
3年生からは“ゼミ”が始まる。自分は法律科目ではなく「社会政策」のゼミに先輩のコネを使って入れてもらった。研究テーマは「日本的雇用と賃金」。ここで、社労士の専門分野である労務管理と年金に触れることができた。当時は「社労士」という資格の存在すら知らなかったが、今思えば、この頃の勉強が今に繋がっているのだと思う。
勉強以外では、“生活協同組合”の学生委員をやっていた。でも、やっていたことといえば、ほとんど遊びオンリーだったような気がする。
1987年 外資系製薬会社の就職。
製薬会社を選んだ理由は、「医者になりたかったから・・」(笑)冗談ではなく、本当だ。別にたいそうな理由があるわけでもなく、業界研究をした挙句の決断というわけでもない。本当に陳腐な理由であり、安易な選択だったと思う。
仕事は、「医薬情報担当者」、いまは“MR"というカッコいい呼び名に変わったようだ。要は、病院や開業医を回る営業職である。カッコいい名前とは裏腹に、実に泥臭い仕事であった。今だから言えるが、当時は医者に裏金を渡したり、医薬品のデータを捏造したり、語りつくせないほど、裏街道を走っていた。ド真面目で融通の利かない性格の自分には、チト場違いな職場だった。(笑)
5年半、栃木県のエリアを担当した。この会社を辞めることになったのは、他でもない、自分の将来を憂うあまりだった。とにかく、早く足を洗いたかった。
1992年 埼玉県新座市に移り住む。
新座には妻の実家がある。看護師をしている妻に食わしてもらいながら、社労士の国家試験の受験勉強に専念する。「絶対に、社労士になってやる!」という、意地ともいえる硬い決意でナリフリ構わず勉強した。同じ講義を必ず2回ずつ聴いていたのと、目つきの悪さで、講師には嫌われていた。(笑)でも成績極めて優秀。一発で合格できた。
1993年 社会保険労務士 合格。
実務経験がなく、開業するためには「事務指定講習」を受講するしかなかった。アルバイトをしながら開業に備えた。
1994年 社会保険労務士 開業。
開業したはいいが、来る日も来る日も「仕事なし」。飛び込み営業するも、経営者には会わせてもらえず、挫折。DMを出すも、通り一遍の内容だったためか、これも空振り。おまけに実務経験のなさゆえ、役人にもバカにされた。「おたく、ほんとに社労士さん??」って・・・。
1995年 医療法人に就職。
製薬会社時代にお世話になった開業医から「事務次長」としてスカウトされた。給与計算から就業規則作成など人事労務はすべて任され、現在の礎となる貴重な経験をすることができた。院長、事務長には本当に感謝している。
でも、新座から栃木県真岡市まで片道2時間半の通勤は、きつ過ぎた。結局3年間勤めて辞めることにした。
この3年間は、とてつもなく充実した3年間であった。自分にとっては、10年分の実務経験に相当する経験を積むことができたと思う。
1999年 社会保険労務士 開業再開。



中小企業経営のための「会社の法律相談ハンドブック」旬報社)